石垣山城


豊臣秀吉が1590年(天正18年)の小田原征伐の際に小田原城の西3kmにある笠懸山の山頂に構築した。
石垣や櫓を備えた本格的な「近世城郭」であり、関東で最初に造られた総石垣の城であった。約4万人を動員し、80日で構築された。当時、天守があったかは不明であるが、天守台跡はある。関東大震災で石垣に被害を受けたが、井戸曲輪の石垣は地震に耐えて現在もよく残っている。この城の縄張りは長方形の郭や濠などが非常に肥前の名護屋城に似ていることから、黒田如水であったと言われる。
1959年に国の史跡に指定され、現在は石垣山一夜城歴史公園として整備されている。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(126番)に選定された。(参照出典元『ウィキペディア』)


石垣山城鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)



東側にある登城口と東曲輪。


西ノ丸高石垣。


崩れているが南曲輪へ向かう虎口。


二ノ丸下の通路から見る二ノ丸。



二ノ丸。奥に見えるのは本丸。井戸曲輪を守る櫓台を備える。


本丸登城口。外桝形虎口と内桝形を重ねた形となっている。登り切った所に渡櫓門があったとされる。


本丸。奥に天守台跡が残る。あいにくの天気で見えにくかったが、小田原城を一望出来る。


天守台跡。石垣が崩れているのは残念。


本丸東虎口。西ノ丸へ通じる。


西ノ丸。かなり広い。


南曲輪。登城口に横矢を掛ける造りとなっている。


案内の石碑。上に瓢箪がついている。


井戸曲輪への通路。左手に二ノ丸櫓台が配置されている。


井戸曲輪。壮大な石垣で囲まれた井戸。山中にも関わらず未だに水が湧き出ている。




 

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