岩櫃城
岩櫃城は、岩櫃山東側に築かれた山城。築城年および築城主は不詳。岩櫃山の北東に伸びる尾根に位置し、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害となっている。
永禄8年(1565年)武田家家臣の真田幸綱によって攻略され、以後武田家郡代として真田氏が岩櫃城主となり、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになっていく。その後、沼田城が真田氏に攻略されると、その支城として扱われた。
慶長19年(1614年)徳川幕府の一国一城令により廃棄された。
2017年(平成29年)、続日本100名城(117番)に選定された。
(参照出典元『ウィキペディア』)
岩櫃城鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)
岩櫃城登城口
元々竪堀であったとされる登山道を登ると、中城跡に出る。
急な坂を登る。これも往時の竪堀跡。両脇は2m以上ある。
埋もれているが三ノ丸を守る往時の横堀跡。
三ノ丸と本丸を隔てる堀切
帯曲輪から見た本丸と帯曲輪からの遠景
二ノ丸と本丸を隔てる横堀。本丸へは急な坂道となる。
本丸跡。北側は土塁で防備されている。
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