金山城


金山城は、1469年(文明元年) 新田一族であった岩松家純によって築城された山城。
以降、1528年(享禄元年)に由良成繁・国繁親子、1584年(天正12年)には北条氏と主は変わったが、上杉謙信の攻撃を退けるなど、関東七名城の一つとされる。
1590年(天正18年) 豊臣秀吉の小田原征伐の際攻撃を受けて落城、こののち廃城となった。
金山の頂上にある山城であり、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」「月ノ池」がある。西南には二の丸跡、三の丸跡と呼ばれる曲輪が残り、これら曲輪につながる尾根群には堀切が設けられている。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(17番)に選定された。(参照出典元『ウィキペディア』)


金山城鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)



駐車場左手の西城見附出丸跡よりスタート。


見附出丸西の喰違い虎口。古い説明では大手前塹壕となっている。


見附出丸全景と出丸側から見た虎口。


西城喰違い虎口と西城跡。かなり広い。


実城(本丸)への登城口。





馬場下通路に至る土橋(石橋)。物見台下の大堀切が絶景。


馬場下通路にある建物跡。この通路は先が行き止まりとなっている。


馬場曲輪から物見台へ。物見台からは眼下の敵が一目瞭然。


馬場曲輪と馬場下曲輪。


馬場曲輪と三ノ丸を隔てる大堀切と月の池。


大手虎口。ここには櫓門があったとされる。中央の通路を挟んで両側と正面に曲輪を配置している。


日ノ池。全て石積で造られている。


本丸跡に建つ新田神社。宮城遙拝所もあり、大正天皇も御幸されている。


本丸跡に植えられている大ケヤキ

 

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