小机城


小机城は、永享の乱(1438年 - 1439年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。
この地域が後北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城代として配置され、小机衆が組織された。笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き寺を建立するなど城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいた。その後、城主は北条氏堯、北条氏政の弟三郎、北条氏光と替わっている。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城。その後、徳川家康の関東入府のときに廃城とされた。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(125番)に選定された。(参照出典元『ウィキペディア』)


小机桃城鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)



登城口にある案内板。根古谷(寝小屋)広場と書かれている。


本丸を守る巨大な空堀。


二ノ丸虎口からの眺め。堀底が一望出来る。


二ノ丸と櫓台。


角馬出から見た空堀と本丸。とにかく空堀の大きさに圧倒される。


本丸。模擬冠木門が復元されている。




 

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