名胡桃城


名胡桃城は、天正7年(1579年)武田勝頼が家臣の真田昌幸に命じて、北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として築城された山城。利根川上流の右岸断崖部に位置し、川を挟んで北東に位置する明徳寺城と対峙する。
歴史的には、真田昌幸の沼田城の支城として、また1590年の小田原征伐の誘因となったことで著名である。小田原征伐の結果、北条氏が滅亡すると全沼田領は真田氏が安堵し名胡桃城は廃城となった。
遺構は馬出から三郭・二郭・本郭・笹郭と主要な郭が直に並ぶ連郭式の山城で、両側が切り立った天然の要害である。廃城となった後、ほとんど改変を受けていないため、築城当時の遺構が比較的良好に残されている。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(115番)に選定された。(参照出典元『ウィキペディア』)


名胡桃城鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)



名胡桃城全景。きれいに整備されている。


般若曲輪跡と空堀。現在は駐車場となっている。


三郭。元々は馬出だったものを拡張したらしい。建物跡2ヶ所が発掘調査にて判明している。


三郭と二郭に架かる土橋。喰違い虎口となっているのがよく分かる。


二郭南虎口と土塁上から見た二郭内側と外側。建物跡3ヶ所が発掘調査にて判明している。


二郭北虎口と本丸への木橋。櫓台で防備されている。


本郭。思ったより狭い。


本郭と笹郭を隔てる堀切。


笹郭。いわゆる搦手口。往時には櫓門があったとされる。先には物見台跡があり、沼田城方面を俯瞰出来る。


般若曲輪から見た三郭。深い堀切で隔てられている。




 

もどる