小田原城


小田原城は、神奈川県小田原市にある平山城で、北条氏五代の本拠地として有名である。城跡は国の史跡に指定されている。
元は、平安時代末期、相模国の豪族土肥氏一族である小早川遠平(小早川氏の祖とされる)の居館であったとされるが、1416年(応永23年)上杉禅秀の乱で禅秀方であった土肥氏が失脚し、駿河国に根拠を置いていた大森氏がこれを奪って、相模国・伊豆国方面に勢力を広げた。
1495年(明応4年)、伊豆国を支配していた伊勢平氏流伊勢盛時(北条早雲)が大森藤頼から奪い、旧構を大幅に拡張。ただし、盛時は亡くなるまで韮山城を根拠としており、小田原城を拠点としたのは息子の北条氏綱が最初であったとされる。以来北条氏康、北条氏政、北条氏直の五代にわたる居城として、南関東における政治的中心地となった。
最大の特徴は、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだ総構であり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。戦国時代最強と言われる上杉謙信、武田信玄両軍の猛攻を跳ね除け、難攻不落の勇名を轟かせた。現在も北西部を中心に遺構が残る。
小田原城は、江戸時代を通して1633年(寛永10年)と1703年(元禄16年)の2度も大地震に遭い、なかでも、元禄の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受けている。天守が再建されたのは1706年(宝永3年)で、この再建天守は明治に解体されるまで存続した。 (参照出典元『ウィキペディア』)



小田原城鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)


大手門太鼓楼


馬出門桝形と二ノ丸遠景


二ノ丸と本丸をつなぐ石橋と本丸東堀跡


本丸への入り口である常盤木門。内桝形となっている。


本丸内と天守閣


銅門。屋曲輪と二ノ丸をつなぐ桝形門。二ノ丸の正門。


馬屋曲輪から馬出へ。馬出から天守閣が遠望出来る。


小峰台大堀切。惣構えの空堀。高さは15メートル程度。





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