真田一族の変遷


真田氏は、清和源氏の子孫滋野氏の一族、海野氏の出とされている。海野氏は、信濃国小県郡海野郷(現在の上田市付近一帯)を中心に栄えた一族で、
戦国時代、海野小太郎棟綱の次男弾正忠幸隆が、小県郡真田郷に拠って真田氏を称したという。
これがのちに武田二十四将に名を連ねる真田幸隆の出自であるが、実際には明らかでなく、真田郷を中心とした小土豪の出で、海野氏と何らかの関わりを持ったものと推測される。
その後真田氏は昌幸−信之/信繁(幸村)と続き、戦国時代末期に名を挙げる大名となる。
関ヶ原合戦前夜に一族の存亡を賭け東西両陣営に分かれ、嫡男信之の系統は、松代藩十万石として紆余曲折はあるが明治維新まで存続する事となる。



上田駅前の真田幸村公像と説明書き。何でも六文銭です。


観光案内所に展示されている甲冑のレプリカ。向かって左より真田昌幸公甲冑、真田幸村公甲冑、真田幸隆公甲冑。




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