上田城
上田城は、1583年(天正11年)に信濃国小県の真田本城主の真田昌幸よって築城された平城である。本丸を南側に置き、二の丸が本丸の北・東・西を囲み、二の丸と東の大手門の間に三の丸を置く、梯郭式といわれる縄張りとなっている。また本丸は東西に伸びた長方形だが、その北東の角のみ鬼門を避けるため欠いた構造をしている。尚、現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたものである。
上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。北に太郎山、南に千曲川があり、築城前は土豪小泉氏の古い城館が存在した(現在、二の丸より西側の小泉曲輪と呼ばれている場所)と伝えられる。城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込み総構えとし、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがある。
1585年、1600年と二度にわたる真田氏と徳川軍との上田合戦で知られる。しかし、昌幸が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れ、昌幸が九度山に配流となると、1601年に上田城は徳川軍に破却され、堀も埋められた。
本丸跡には眞田神社(真田神社)がある。境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説がある。(参照出典元『ウィキペディア』)
上田城鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)
史蹟上田城址と大手門
大手門より登城。
本丸内にある真田井戸と戊辰戦争従軍碑
現存する西櫓と桝形
かつての尼ヶ淵(古千曲川の断崖)より見た西櫓と東櫓、石垣は三段積みとなっている。
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