山中城
山中城は、静岡県三島市山中新田にある山城で、北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる箱根十城のひとつ。国の史跡に指定されている。
盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっている。北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される。
永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により東海道を取り込む形で築城され、北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点として韮山城、足柄城とともに防衛ラインを構築していた。
北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、大改修の上、岱崎出丸、西ノ丸をを増築改修し、防備を固める。
1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、守将は北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら3千。間宮康俊は寄親北条氏勝等を撤退させて自らは手勢200を率いて三ノ丸〜岱崎出丸辺りで豊臣方に苛烈に抗戦。豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出した。しかし戦力差甚だしく猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した。戦後、城は廃止された。
1930年(昭和5年)に国の史跡に指定され、1973年(昭和48年)から三島市が公園として整備をはじめ、合わせて学術的な調査もなされた。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(40番)に選定された。
(参照出典元『ウィキペディア』)
山中鳥瞰図(出典元『余湖くんのホームページ』)
三ノ丸跡から二ノ丸跡への通路
二ノ丸橋と橋から見た元西櫓跡と二ノ丸跡を隔てる畝堀
元西櫓跡と溜池
元西櫓跡から西ノ丸跡へ。西ノ丸を囲む畝堀が見える。
西ノ丸跡。西奥に物見台跡もある。
西ノ丸と西櫓を隔てる障子堀。山中城の絶景ポイント。
西櫓(角馬出)跡とそれを囲む畝堀群。
西櫓跡から二ノ丸を臨む。かなり急勾配。史実では豊臣方の軍勢がここを攻め上ったと言うが…。
西木戸の休憩所から富士山が見える。
山中の帯曲輪を通って北ノ丸跡へ。林の中にも畝堀が作ってある。
北ノ丸跡から本丸跡へ。
本丸跡。奥の高台が天守台跡とされる。
二の丸跡。本丸側と元西櫓側の両方に物見台跡がある。本丸と二ノ丸を繋ぐ橋は半分が土橋、半分が木橋となっている。
田尻の池から三ノ丸堀跡へ。
箱根旧街道沿いに作られた岱崎出丸への入り口と箱根旧街道
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