一式陸上攻撃機(Betty Bomber)
707空の一式陸上攻撃機編隊飛行
昭和12年海軍の十二試陸上攻撃機として開発がスタート。昭和16年に制式採用された。 本機に対する海軍の要求はエンジン4基の大型爆撃機に相当するものであったため、三菱重工では従来の設計方針を根本的に変更し、さらに大量生産に適するように考慮した設計をした。しかし長距離を飛行するために機体重量を軽減する必要から防弾装備を一切省き、主翼内にも燃料タンクを搭載し燃料携行量を増加させたため、敵の攻撃を受けた際に一撃で火を吹くという有り様で、連合軍のパイロットからは「ワンショット・ライター」という有難くないあだ名を付けられていた。 戦争末期には激甚な局面で使用されることが多く損害も多大だったため、2,400機以上が生産された当機も終戦時には約160機が残存するだけであった。