サイパン島の戦跡

サイパンは中部太平洋マリアナ諸島の主要な島のひとつである。元はドイツ領であったが、第一次大戦により日本の統治領となった。その大きさは南北19.2キロ、東西9.6キロ。島の中央にはタッポーチョ山がそびえ、北東部は山地となっている。 最盛期には日本人の人口は20,000人ほどを数え、ガラパンを中心に南洋の窓口として大いに栄えたと言われてます。
昭和18年9月の御前会議において絶対国防圏が設定され、その防衛圏の最前線のひとつであるサイパンはここにいたってようやく防備を改善し始めるという甚だ寒心に堪えない状況でした。
最終的には第三十一軍司令部以下、編成的には1個師団プラス1個旅団と独立砲兵、戦車各1個連隊の陸軍約25,000人、海軍約6,000人の兵力で守備するも、圧倒的な米軍火力の前にはいかんともし難く、米軍上陸後半月程で組織的な抵抗は終結。その後は残存兵によるゲリラ戦で抵抗を続け終戦を迎える。
今や多くの日本人観光客が訪れるこのサイパンは一見平和な観光地にしか見えないが、今も戦争の爪痕と日本統治時代の繁栄の痕跡が隣接する貴重な場所である事に思いを巡らす必要があると考えます。


九十五式軽戦車。日本軍の戦車部隊は4時間の激闘で潰えた。

エンジンとクランクシャフト

砲塔後部から。左手の部分は照準器

ラストコマンドポスト(最後の司令部跡)。実際は海軍が建設したトーチカ陣地。

トーチカ内部。鉄筋で補強されている。正面入口は非常に小さい。

トーチカ前面陣地に集められた八十九式12.7センチ高射砲。

トーチカ前面陣地の15センチ砲。

マッピ山下の慰霊碑。山肌には艦砲射撃の跡が残る。

バンザイクリフと慰霊碑。英霊に合掌。