艦上攻撃機「天山」(Tenzan Attacker)

艦上攻撃機「天山」一二型


海軍は九七式艦上攻撃機の後継機として、性能向上を目指した新型艦攻の試作を中島飛行機に命じた(14試艦攻)。それを受けて昭和16年春に試作1号機が完成。
それまでの艦攻に比べ大馬力の発動機を搭載し、4翅金属製プロペラやファウラー・フラップ、層流翼の採用など新機軸を盛り込んだ機体は海軍が要求する性能を示した。全長が航空母艦のエレベーター寸法をオーバーするため前方に傾斜した垂直尾翼(しかもエンジン回転トルクを押さえるため機体中心軸から左に3度傾いていた)を持つなど機体形状にも目立った特徴があった。
戦争中期(マリアナ沖海戦・ブーゲンビル沖海戦)ごろから第一線の主力として活躍し、同時機の各国の攻撃機の中でも最高性能を誇る3座艦上攻撃機であったが、実戦に投入されたころには米軍艦隊の対空攻撃能力が増強(レーダーや近接信管砲弾の実用化)されており高性能の「天山」をもってしても日本海軍の雷撃隊は相当な被害を被った。
ちなみに一二型に装備された後下方旋回機銃(一式旋回機銃)は優秀と名高いドイツ・ラインメタル社製のMG15航空機銃のコピー品であるため、旧来の日本製旋回機銃と口径が異なっている。


深度37mに沈んでいる天山

三座の操縦席

操縦席内部。操縦桿、フットバー、スロットルレバーがキレイに残っている。

装備されていた後下方旋回機銃と弾倉(マガジン)。

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