零式艦上戦闘機(Zero Fighter)
零式艦上戦闘機11型
昭和12年に海軍の十二試艦戦として開発がスタート。三菱重工の堀越技師が設計。昭和14年正式採用。 当時としては世界最高レベルの戦闘機で、大戦初期には長大な航続力、強力な20ミリ機関砲を持つ当機は熟練操縦士による神業的機動と相まって敵なしの状態であったが、連合軍機が編隊による一撃離脱戦法を採用するようになり、零戦得意の格闘戦に持ち込めなくなると当機の被害も増大していくことになった。 空戦性能と航続距離に重点を置き、極限までの軽量化をおこなったため戦争中期以降は防弾装備不足・機体の強度不足に悩まされることとなったが、後継機開発の遅れから戦争終結まで第一線で使用され、また戦争末期には特攻にも使用されている。 大戦全期を通じて生産されたため改良型が多く、初期生産型である一一型、二一型から大戦末期に開発された戦闘爆撃機型である六二型まで通算すると一万機以上の生産数を誇る日本軍最多生産機である。